1998.2.3 作成 / 2.7 更新
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当日は大変いい天気で、富士山はおろか、筑波山が見えるほど透明度がよかったです。冬にしては上昇気流も強かったようで、パラグライダーをやる人々がたくさんいました。またまた立体写真ですが、時間がずれてるのでパラグライダーの位置がちがうのが残念です。
丹那断層
1930年(昭和5年)11月26日午前4時2分に丹那盆地を震央として北伊豆地震(M7.3)が起き、地震断層が地表に現れました。この写真は最近できた公園で写したものです。池を囲っていた石組がずれているのがわかります。
すぐとなりの水路も横にずれています。ここでは断層は左横ずれを起こしていて、そのずれは2.6mにも達しています。赤いX印は断層の位置を示しています。工事中だった丹那トンネルもずれてしまったそうです。電車が通ってなくてよかったですね。
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ここはもと大塚兼五郎氏邸だったそうです。左図のようになっていて、上左写真は図の左側から、上右写真は図の右側から、それぞれとったものです。
池の左では、地下を掘り下げてあって、断層を観察できます。中央にたてに一本の線が見えますが、これが断層です。まわりは安山岩のようでした。
現在この断層は特別天然記念物(国指定)となっています。
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公園には模型もありました。左が北です。丹那盆地(函南町)は断層にそってできた盆地であるようです。この断層は700年〜1000年ごとに動く活断層で、50万年間で横に1kmずれ、西側が100m以上隆起しています。
公園から5kmほど北に火雷神社(いかづちじんじゃ)があります。ここもほぼ断層上になっていました。この写真の鳥居は地震のあとに建てられたものです。古いものはこの右にありました。
よく教科書にのっているのはこのこわれた鳥居の写真です。ちょうど鳥居と石段の間を断層がはしっていて、鳥居が右に動いてしまったように見えます。鳥居は左の柱(中央のヘンなかっこうの柱)が途中で折れていて、右側の柱(指さしているところ)はもとの方で折れています。写っているのは一緒に行った下野。
反対方向の石段の上から見た写真です。鳥居が左にずれたように見えています。折れた鳥居の残骸も放置されてあって、苔むしていました。当時の地震の激しさがしのばれます。
下田
宿は下田の須崎にとりました。海辺の見晴らしのいいところで、窓から伊豆諸島が見えました。この日は特別によく見えたようで、宿のおばさんも喜んで双眼鏡を見ていました。
左から利島、鵜戸根島、新島です。もっと左には大島、もっと右には式根島、神津島、御蔵島、三宅島も見えました。
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石廊崎のあたりに夕日が沈んでいきました。透明度がよいので、夕焼けが残っているうちから星が見え始めました。右の写真には木星が写っています。
夜には双眼鏡でシリウスやオリオン大星雲などを見ました。天の川もきれいでした。カノープスも見ました。
カノープスは大犬座の下の方にある星で、南の水平線ギリギリにしかのぼらないため、めったに見られません。中国では「南極老人星」と呼ばれ、これを見ると長生きできるといわれています。
三ツ石岬
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石廊崎と波勝崎の間の展望台からの眺めです。立体写真です。一番奥に見えている三ツ石岬の白い崖に黒い線が見えます。これは岩脈といい、火山岩でできています。ありさんによれば、このあたりの崖にはいたるところにに岩脈が見られるそうです。
岩脈というのは地下からマグマが岩石のわれめにそってあがってきてできたものです。
堂ヶ島
西伊豆に堂ヶ島という観光地があります。このあたりは、凝灰岩が海水の侵食をうけて複雑な地形を作っています。この写真の崖も穴がいくつもあいてるように見えますが、このようなものを海食洞と呼びます。
ここでは観光船が出ていて、海から海食崖や海食洞を見ることができます。海食洞の中までも入って案内してくれます。中でUターンするという離れ業もやってくれます。しかし、今回は風があったためか、残念ながら船は出ていませんでした。
この看板にもあるようにこのあたりは白い凝灰岩でできています。松の緑と白い岩の対比が美しいということで、松島と似ています。
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海食洞が3つまたに枝分かれしているところで天井が抜け落ちています。天窓(てんまど)があいているので「天窓洞(てんそうどう)」と名付けられました。ここまで船がはいってくれます。上からと下からで「こんにちは」ということになりますね。
以上で伊豆旅行は終わりです。みなさんもよかったら行ってみてください。