入院日記のページ


2001.9.30 作成

戻る


9/19 日課

 病院の1日は朝の点滴交換、検温・血圧測定から始まる。看護婦さんが包帯や消毒薬などが積まれたワゴンをころがしてやってくる。

 このワゴンは「ホウコウ車」というのだそうだ。「芳香」かと思ったが、「包帯交換」の略で「包交」らしい。そんなにいいにおいではないか。

 血圧は正常だが、わずかに体温が高い。8時朝食。幸い僕は何でも食べてよいということで、食事はおいしく食べられる。

 8時半、看護婦交代。交代はあと17時と夜中の0時。1チーム7〜8人が1日3交代で勤務している。

 僕の担当はピンクチームの7人。ほかにブルーとイエローチームが8人ずつで、婦長もいれると全部で24人。

 9時、体の清拭。お風呂にいける人は行ってるようだが、僕は当分の間、はいれないので拭くだけ。

 10時、掃除。11時、傷の消毒。創外固定のピンの出口を消毒。

 12時、検温・血圧測定。その後昼食。午前中は意外とスケジュールがつまっている。

 午後は比較的ヒマ。しかし、これを書いている9月30日まで、手術日以外は必ず毎日複数の来客があった。

 これが不思議とほとんどかちあわず、一組が帰ると次が来るという感じでうまくつながって来てくれた。

 おかげで退屈することもなく、痛みと向き合うこともあまりなく過ごすことができた。ありがたい。

 この日の来客はH・M両先生。授業や仕事の手当のためにいらっしゃった。申し訳ない。

 あとは18時に検温と夕食で、21時消灯。

9/20 消防

 消防署の方が花を持って見舞いにいらっしゃった。バイクが燃えたということで、一応火災扱いになるのだそうだ。

 手続きすれば火災保険もおりるらしいが、20年乗ったバイクなのでかけていないし、かけても無駄だったろう。

 来た目的は、状況を聞くのと、出火原因を調べるということだった。まだ新人の方だった。

 普通は、事故時には意識がなくなってしまったり、前後の状況がわからなくなってしまうので、調べるのは大変らしい。

 僕は事故の前後の状況がよくわかっているし、出火原因も自分で推定できたので驚いていた。

 「スタンドでガソリンを満タンにしたとき、ちょっと入れすぎたために少しキャップから漏れだしていた。

 それが下のエンジン部分で加熱・気化されていた。事故時に転倒した際に路面とぶつかって火花が散って引火したのだろう。」

 消防士は納得して帰っていった。それにしても、燃料満タンでつっこむなんて、テロみたいだ。

9/21 眩暈(めまい)

 バイクを移動・保管していただいたS自動車へ、料金31,500円を振り込んだ。廃棄処分もしていただけるそうだ。

 担当のI先生がいらっしゃって、今後の予定がわかった。

 25日に創外固定を締めてみる検査をやり、28日に恥骨を金属プレートで固定する手術をすることになった。

 それから、昨日夕方、耳鼻咽喉科のA先生がやってきて診察していただいた。実は事故の翌日、天井が右回りに1周して見えたのだ。

 その後も、首の向きを変えたときに時々、視野が回転し、めまいがする。

 診断によれば、「良性発作性頭位眩暈症」というのだそうだ。内耳の三半規官の中に、前庭にあった石がころがりこんだらしい。

 そのために三半規管内の液の流れが阻害され平衡を失うらしい。あれだけはげしくシェイクすればそういうことにもなるだろう・・・。

 普通に生活していれば2週間程度で石がでてきてなおるとのこと。

 ただ、ベッドで寝たきりだとなおらないから、自分から首を積極的に動かすようにとのこと。

 「めまい体操」なるものも伝授していただいた。なんだかなぁ。

9/22 文化祭

 今日は文化祭。実験助手のGさんのおかげで写真は無事に展示されていることだろう。伸ばすのだけは事前にやっておいた。

 あとはGさんに額装と展示をやっていただけた。就職以来19年目で展示がとぎれる危機を救っていただいた。ありがたい。

 天文気象部や地質部は無事にやっているだろうか?

 教職員バンドの「パンピーズ」はベースの僕がいないけど、補ってがんばってやっているんだろうな・・・。

 終了後、ありさんが見舞いに来てくれた。古本市で買ったという西村京太郎の推理小説を持って。うれしい。

 今日は、昨日shoさんがきてくれたときより、さらに痛みもとれて楽になり、話しながら久々に笑った。

 夜、あらためてヘルメットを調べてみた。シールドはピンごと見事に吹き飛んでいた。たぶん最初の一撃でだろう。

 しかし、ヘルメットの塗装部分には、最初からあった落としたときのキズ以外には、スリキズ1つなかった。

 あれだけの事故なのに・・・よく頭をうたなかったものだ。神様に感謝・・・。

 ・・・つづく


戻る