入院日記のページ


2001.10.1 作成

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9/23(日) 千客万来

 *窓のカーテンのすきまから漏れた朝日が自分の足下の右の壁にうつってきれいだった。赤からオレンジ、黄色と変化した。

  自分の部屋は4人部屋だが、足下の左の方に窓があり、左隣の人は窓が見えるが、僕のところからは見えないのだ。

  今日は秋分の日で、真東から日が昇るので、窓はほぼ真東をむいていることになる。

 *バイク屋のFさんが来てくれた。学生時代からもう20年以上のつきあいだ。心配をかけてしまった。燃えてしまったのがつらい・・・。

 *次に卒業生が17人も来た。ここで集合してどこかへ呑みにいくとか。3回入れ替えでおおにぎわい。楽しかった。

  なんでも、事故の翌日にはクラスじゅうに携帯やメールで連絡がまわったらしく、ICUにいるとかで相当心配したらしい。

  足を動かして見せたら驚いていた。伝言ゲームだからしかたないのかもしれないが、どんな連絡がまわったのだろう?

 *さらにこの日は、弟一家、よめさんの弟夫婦、天文気象部の卒業生、助手さん・・・と来客が多く全部で34人も来てくれた。

 *最後に文化祭ステージを終えた教員バンドのパンピーズ(ハンピーズ)のメンバーも来てくれた。事故後はいろいろ議論したのだそうだ。

  「今回は中止するべきだ・・・」「いや、やめたらカツヤさんは怒るだろう・・・」などなど、いろんな意見がでたらしい。

  でも、結局は「チームワークでのりきろう」ということになったのだそうだ。当日のパンフ、ポスターにも僕の名前があった。

  ポスターの「全開!全快!僕らのチームワーク」のコピーは秀逸だ。話を聞きながら泣けてきた。

  夜、テープを聴いてみた。ベースがなくてもそれなりにできているし、練習してたときよりもずっとうまかった。よかった。

  聴きながら、頭の中でベースの音を思い浮かべ、手は自然に弾く格好になっていた。

9/24(月・振替休日) 卒業生

 *となりのベッドのTさんと会話した。おたがい寝たきりでカーテンも閉まっているから顔は見えない。

  コンピュータ関係の仕事で、やはりバイク事故で大腿骨を骨折し、もう50日入院しているとのこと。

  仕事がコンピュータだし、自宅は千葉ということで、話は合った。僕のところへの来客の多さに驚いていた。

 *午後、医師の格好をした若い男が突然、「先生、教え子のOです!」と訪ねてきた。

  どうやら平成3年の卒業生でこの病院の脳外科にいるとのこと。同級生からのメールで僕の入院を知ったらしい。

  よくよく話を聞いていたら、僕が救急車で到着したときに処置をしていた一人であったらしい。CTを撮ったのが彼。

  そのときはおたがいわからず、彼は「ずいぶん受け答えのしっかりした人だなあ・・・」と思っただけだったとか。

 *彼が帰った後、看護婦のIさんと話していたらさらに驚くようなことが発覚した。

  「そういえばここの医長のKさんも同窓生じゃないかしら?」「え?もしかして弟がTVにでてる?」「そうそう!」

  なんとそれは天文気象部の後輩のK氏であった。僕が高3のとき、中1ではいってきたのでよく覚えている。

  医長というのは部長に次ぐポストだそうで、ここのナンバー2である。えらくなったものだ。

  しかし、残念ながら今日から休暇をとっていて奥さんと旅行中とか・・・。どんな顔で来るか楽しみだ。

9/25(火) 検査

 *昨日は体育のI先生も来てくれた。そういえば、一緒に野球をしたあと僕が「気をつけて」と声をかけて別れた直後の事故だった。

 *今日は校長のI先生が訪ねてきた。事故の話もそこそこに、台風の話から、波動、津波、はては流体力学に話が及んだ。

  帰った後、となりのTさんに「話の内容におどろいた。一生忘れられないだろう・・・」と感心されてしまった。

  逆に言うと普通の話がきらいなんだと思うが・・・。

 *その後、担当医のI先生がいらっしゃってベッドごと検査へでかけた。創外固定器をしめなおす作業をやるとのこと。

  まず固定器をゆるめ、X線のモニターを見ながら骨盤を両側から押さえて、固定器をしめなおした。

  自分もモニターを見られたのでよくわかった。でも、結局は前と同じで恥骨の離解は1cmまでしか縮まらなかった。

  あとは金曜日の内固定の手術にかけるしかない。うまくいくといいが・・・。

 *今日はさらに理科のM、O両先生も相次いで来てくださった。

  O先生は歩いて10分!という近所なのだそうで、普段着でいらっしゃった。

 

 ・・・つづく


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