2001.10.5 作成
*担当のI先生がきて、いろいろ説明してくださった。手術は成功したこと、輸血はしなかったこと、神経を一部切ったことなど。
3週間後に車椅子、6週間後に立つことができるようにというのが目標だという。こんなに痛いのにできるようになるのか不安。
*昼食前、HCUからもとの部屋に戻った。ちょっと落ち着いた。やはり慣れた場所の方が安心する。
*大学時代からの友人、近藤くんが来てくれた。今年も一緒に星を撮影したり、石を採集したり。山に登ったりした。
また一緒に山に登れる日は来るのだろうか?
*地質部の中3の2人が来た。文化祭の報告をしてくれた。何も力になってあげられなくて残念だった。
しかし、合宿の時に撮影したビデオは使ってくれたということだった。よかった。
*O、I両先生が来てくれた。そういえば事故の前日、O先生のバイクが故障して遅れてきたとき、バイクの話をしたのだった、
「20年も乗ったならそろそろ替え時では?」「でも同じようなバイク、ないんだよね・・・」などと話したばかりだった。
で、今日は「インターネットで調べたら同じのが12万だったよ」という話をしてくれたが、買えないなぁ、たぶん。
*S自動車からバイクのナンバープレートと写真が送られてきた。ナンバーは塗料が燃えてしまって色がなくなっていた。
写真は悲惨な状況だった。金属部分以外はほぼ燃えてしまっていて、車輪のアルミの部分でさえ一部溶けてなくなっていた。
見たくなかった・・・。
*夜、あまりに痛いので痛み止めの薬をもらった。するとさっきまでの痛みが嘘のように消えてしまった。
こんなことなら昨日からもらっておけばよかったと思った。
9/30(日) 点滴
*痛み止めのためか、久々によく眠れ、夢を見た。僕はベッドに乗ったままブルートレインに乗っていた。
なぜか担当看護婦のAさんたちも一緒に乗っていてケアしてくれた。それから、耳に砂がつまっていた。
耳掻きで掃除したらあとからあとから砂がでて、草の根っこなどもまざっていた。
どうやら、ありさんにもらった西村京太郎の推理小説と、同室の方のいびきのために耳栓をしたのが原因のようだ。
*昼食前、傷口からのドレナージを抜いた。また、点滴も抜いた。これでついている管は膀胱カテーテルだけになった。
実は点滴はあと1回だけ、今日の夕方に予定しているという。だったら、数時間のことだからこのまま抜かないでほしい。
そう主張したが、「え?1回だけだからいいじゃない」と言われ、結局ぬかれてしまった。結果的にこれが悲劇を呼んだ。
*実は僕は静脈が浮きにくい体質らしく、学校の定期検診の時の採血でも失敗して刺し直すことがよくある。
なれてない看護婦がやっていることもあるのだと思うが。しかし、この病院の看護婦たちは若い方でも失敗はなかった。
*夜になって点滴をうちに若い医者が来た。付き添いはベテランの看護婦M丸さん。まず医師は左上腕部をゴムでしばった。
で、しばらく静脈を観察した後、手のひら側をあきらめたらしく、手の甲側の手首のすぐ下(腕時計をするところ)に刺した。
痛いと思っていたら急に楽になったので、左手を見たら、実は抜いており、次の瞬間、同じ場所にまた刺した。
場所が場所だけに「痛いです」というと、「うん、ここだと痛いだろうな」といい、今度は左肘の内側に刺しなおした。
ところが、今度は筋肉がひきつれるように痛い。「痛い・・・」と言っているのに、彼は無視してさっさと行ってしまった。
看護婦M丸さんに、「これ、入ってないと思うんですが・・・」というと、「え? そうね。じゃあ抜きましょう」と抜いてくれた。
「また彼が来るんですか?」「やってあげたいけど、これは医者じゃないとできないのよね」と彼を呼びにいった。
ひとりで戻ってきた彼は、「点滴、どうしたんです?」と非難めいた口調。「痛くてしかたがなかったんで抜いてもらいました」と僕。
では・・・ということで、4回目。今度は右腕にしてもらった。お、今度こそ入っている感じ・・・。
「僕の腕って難しいんですかね?」と聞くと、「最初のは入ってたんだけどね・・・」と医者。
え? では、3回目のは入ってないのわかってるのに行っちゃったの? あのまま放っておいたらどうなっちゃったんだろう??
あげくのはてに、「点滴のボトルをベッドの右にしてください」というと、「看護婦に言っておくから、あとでやってもらって」と彼。
でも、待てどくらせど来ない。結局、看護婦さんをボタンで呼ぶまで来なかった。 以上、この病院でのたったひとつの不満でした。
・・・つづく