2000.6.25 作成
三宅島への船は浜松町の竹芝桟橋から深夜に出ます。
これは表玄関です。
出航直後にレインボーブリッジをくぐります。
ライトアップされていてとてもきれいです。
三宅島に到着すると、沖の方に大野原島(通称三本岳)が見えます。
昔の火山島の残骸のようです。
地図
これは三宅島の絵地図です。
溶岩が右上と左下に見えます。右上は1962年、左下は1983年のものです。
御蔵島
海岸にある人工池から見た御蔵島です。
島の周囲は急傾斜の断崖でできているようです。
堆積物
人工池のまわりの崖には火砕物(火山灰や火山岩片)が堆積してできた地層が見られます。
過去に火砕流か土石流が流れた跡だと思われます。写っているのは地質部長の能塚くんです。
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数千年前の噴火の時にできた火口あと(マールという)に水がたまったものです。
池の周りは急傾斜の崖になっています。崩れた跡も見えます。
池の中には昭和12年に発見された、たいろ藻と呼ばれる珍しい藻が見られます。
しかし、昭和58年の噴火による降灰で絶滅に瀕しているそうです。
大路池の横には野鳥観察館があります。望遠鏡もおいてあって観察ができます。
デジカメにものぞかせてみました。
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新澪池は、1763年の噴火の際にできた火口(マール)に水がたまってできました。
0.5%の塩分を含み、七色に色が変化するという美しい池だったということです。
しかし、昭和58年の噴火の際にマグマが地下に入ってきて地下水と接触して爆発(マグマ水蒸気爆発)を起こし、一瞬にして吹き飛びました。
現在は写真(立体写真です)のように、大きな穴の底が草に覆われた姿となっています。溶岩は向こうから手前に向かってきました。
池から500m離れたところの道路脇に「噴火災害保存箇所」があります。これは旧都道の歩道に落ちた岩を保存したものです。
新澪池から500mもの距離を飛んできた1mを越える大岩がめり込んでいます。
雄山山頂へ
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三宅島の中央に813mの雄山があります。もっとも島全体が海底からもりあがる火山ですが。
山頂へ向かう途中で立体写真を撮りました。はるか沖の方に通称三本岳の大野原島が見えます。
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山頂のカルデラ内には火口が複数見られます。
最近は山頂からは噴火せず、山腹からの割れ目噴火が主体ですので、山頂の火口は草で覆われています。
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山頂付近には噴気の出ているところがあり、雄山サウナと呼ばれています。
別に硫黄くさいわけでもなく、湯気がたちのぼっているという感じです。写っているのは能塚くんと高橋くんです。
山頂付近に落ちていた火山弾です。1mの折り尺をあててみると80cmありました。
山頂付近からふもとを眺めたところです。前回の1983年10月3日の噴火はこの写真の中央部から始まり、割れ目にそって噴出した溶岩は写真の右へ流れ下りました。
道も埋めてしまいましたが、現在は写真のようにまた新しく道がつけられています。
1983年の溶岩流(山腹〜粟辺方面)
火口
1983(昭和53)年10月3日午後3時ごろ、三宅島南西部の山腹にわれめができ、溶岩が噴出しました。
これはそのときにできた90個もの火口のうちのひとつです。直径は数mでした。多量のスコリア(ガスがぬけた穴だらけの岩)が積もっています。
テニスコート
最初に噴火したところのそばのテニスコートです。前回は地震が頻発してから1時間ちょっとで噴火したので予知ができず、当時はこのコートでプレイしている人もいました。
あわてて鍵を持っていた人の車に乗って逃げたそうですが、途中で噴石がバラバラと降ってきてフロントガラスも割れたそうです。その2年後に来島したときは、コート脇に放置された車が朽ち果てていたのを見ました。
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山腹を下る溶岩流は島の南、南西、西へと3つに分かれました。これは島の南へ向かったものを山の途中から見下したところです。
左上のへこんだところが新澪池跡です。
溶岩鍾乳石
三宅島の溶岩は粘性が小さくて流れやすい玄武岩質です。そのため空洞ができると天井からしたたって溶岩のつららができます。
これを溶岩鍾乳石(ようがんしょうにゅうせき)といいます。日本では珍しいので、これを集めているコレクターもいます。
溶岩石筍
したたった溶岩は空洞の床に積み重なり、溶岩石筍(ようがんせきじゅん)を作ります。
子供の粘土遊びのような細長いものがたくさん重なって見えます。きれいに重なると塔のようになります。
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溶岩が木を取り込むと、木は燃えますが、溶岩にその木の形が残ります。
ちょうどちくわのような形の溶岩ができます。これを溶岩樹型(ようがんじゅけい)といいます。
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海岸近くから見上げた溶岩流です。山腹から粟辺まで3km以上も流れ下りました。
溶岩流は森を焼き尽くして流れたのです。
新鼻
さらに海岸の近くの新鼻(にっぱな)ではマグマ水蒸気爆発が起き、火口ができました。
現在では海の波の侵食によって半分欠けた形の火口になっています。
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新鼻の火口です。降り積もったスコリアを爆発で吹き飛ばしました。
断面には赤く酸化したスコリアが見えています。
立体視すると、火口がへこんでいるのがよくわかります。
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ここは、噴火の2年後に来たときはスコリアと枯れ木だけでした。枯れ木には水蒸気爆発のときに飛んできた石が突き刺さっていました。
その後枯れ木がばらばらになって養分となり、そこに草が生えているようです。こうしてだんだんと草地になり森林になっていくんですね。
斑晶
火口のまわりに落ちていた岩塊を見ると、中に大きなカンラン石の斑晶がありました。
岩質は玄武岩で、石基はきめ細かかったです。
<つづく>