三宅島のページ2


2000.6.28 作成

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阿古地区

阿古 阿古

阿古地区全景

1983年の噴火の時、西へ向かった溶岩流は島最大の集落の阿古地区に達しました。一瞬にして約400戸もの住宅を埋めてしまったのです。

右奥の方にあとで紹介する学校が見えます。中央の道路はあとから通した道です。
末端

溶岩の末端

阿古の溶岩の末端です。溶岩はこの建物で止まりました。ここと海岸の間にわずかに人家が残っています。

熱で外壁のタイルがすべてはがれています。
看板

観光と漁業で賑わった阿古温泉郷

阿古地区の昔のようすが看板にありました。

説明には阿古の人は「陽気で人なつこい」とあり、1300人余が一人残らず無事避難したと書いてありました。
人形岩 人形岩

人形岩

阿古の集落を見下ろすかのように崖の上に「人形岩」があります。

岩場の左端に左を向いたハニワのような無表情な人の顔が不気味に見えます。
学校 学校

学校

阿古小学校と阿古中学校が溶岩にのまれています。

溶岩流は鉄筋コンクリートの校舎でとまりました。そのためにここから海岸までの間の住宅は助かっています。
学校 学校

左写真は向こう側の山からやってきた溶岩流が写っています。アルミサッシの枠が熱で曲がっているのがわかります。

右写真は体育館で、向こう側の壁が倒れて溶岩流が入っています。屋根は落ちました。いずれもガラスはありません。
学校

体育館と校舎の間から溶岩流がでてきたところです。溶岩流の厚さは、校舎(4階建て)の3階分、つまり約10mになっていることがわかります。

以前、中に入ってみたところ(現在は立入禁止です)、3階の窓から溶岩が侵入しており、4階の音楽教室でも黒板が焼けていました。

古い噴火

赤場暁 赤場暁

赤場暁(あかばっきょう)

今度は島の北東部にある溶岩流です。こちらは1940年、1962年のときの噴火による溶岩流です。不思議なことに溶岩流は神社をよけるように流れ、境内で止まりました。

阿古と比べると草が多く、岩も風化でまるっこくなっていることがわかります。
ひょうたん山 ひょうたん山

ひょうたん山

こちらは1940年の噴火時にできた山です。海の中から噴火し、一晩でできたそうです。

よく発泡したスコリアでできています。

1962年(昭和37年)にできたために「三七山」と名づけられた山から撮影しています。
スコリア 火山弾

スコリアと火山弾

ひょうたん山の脇を海岸の方へ歩いてみました。スコリアがたくさん積み重なっているのがわかります(左写真)。

付近にはたくさんの火山弾が見られます。右写真のように大きなものもあります。
ひろう

灰長石(かいちょうせき)

海岸近くでは風化した岩石から灰長石の結晶がはずれて落ちているのが見られます。

よくさがすと形のよい大きな結晶が見つかります。

みんなで夢中になって時間を忘れてひろいました。

そのほか

神津島

神津島の火山灰

島の北部の崖で白い火山灰層を見つけました。三宅島は玄武岩質の火山なので火山灰は真っ黒です。

これは838年に起きた神津島の噴火時に出た火山灰が、風に乗ってやってきて積もったものだということです。
岬

伊豆岬

島の北部の岬で灯台があります。ここでもよく見ると白い火山灰がわすかにはさまっているのが見られます。

そこは侵食に強いようで、出っぱっていますね。
メガネ岩 メガネ岩

メガネ岩

島の南西部にあるメガネ岩です。これは海岸にある溶岩流に、波が侵食して2つの穴をあけたものです。

しかし、現在は右側がくずれてしまったのでメガネのようには見えませんね。


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