1999.11.25 作成
皇居東御苑にて、天皇御即位十年記念特別展をやっていたので、最終日の11月23日に行ってきました。以下はそのようすです。
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左は旧御料車(メルセデス・ベンツ)で、昭和7年〜42年の間、行幸に使用されました。1932年製で、7603cc直8気筒エンジン、6人乗りで3440kgだそうです。
右は現御料車(ロールス・ロイス)で、両陛下の「祝賀御列の儀」や平成5年の「皇太子殿下ご結婚の自動車列」に使用されました。6747ccV8気筒エンジン、4人乗りで2330kgだそうです。
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左が儀装馬車2号で、昭和3年製、1100kg。平成2年の「即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀」に天皇陛下が使用されました。昭和34年の「皇太子殿下御結婚の馬車列」にも使用されました。6頭立4頭曳きの騎馭(きぎょ)式。つまり馬6頭で曳き、前2頭には乗らず、後ろ4頭に乗っているということです。
右は儀装馬車3号で、昭和3年製、1100kg。「即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀」に皇后陛下が使用されました。前の赤いところに馭者が乗ります。
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左は、衛門の束帯といい、御所の門を警護する役人の束帯です。太刀を帯び、弓矢を持っています。
中央は、威儀物(弓)捧持者の束帯といい、儀式の威厳を示す威儀物である弓を携えている文官の束帯です。弓は166.7cmです。
右は、威儀の者の束帯です。威儀の者は儀式中庭上の所定の位置に就く人です。鎧姿で太刀、弓を持つ武官の出で立ちです。
いずれも即位礼正殿の儀で使用されました。
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左は、供奉員(ぐぶいん)の束帯です。供奉員は儀式の際、天皇皇后両陛下近くに仕える職員です。
右は、供奉員の五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)で、女性供奉員の正装で十二単です。
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左は、威儀物(桙)捧持者の束帯といい、威儀物である桙(長さ218.7cm)を携えている文官の束帯です。
中央は、五節舞姫(ごせちのまいひめ)の装束です。5人で舞います。
右は、采女(うねめ)服と布衫(ふさん)です。采女は古代は天皇に仕え、配膳に携わりました。布衫は庭燎(にわび)の係が着ました。この2つは、大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀で使用されました。
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儀式に用いる旛が展示されていました。左から菊花章小錦旛(しょうきんばん・高さ4m)、菊花章中錦旛(高さ4.5m)、菊花章大錦旛(高さ5.5m)です。
小錦旛と中錦旛はそれぞれ5色(青、黄、赤、白、紫)があり、大錦旛は「五彩瑞雲」というたなびく雲の模様がはいっています。
中央の2つの赤いのは萬歳旛(ばんざいばん)といい、天下太平な世の中がいつまでも続くようにと願ってつくられました。
右は日像纛旛(にっしょうとうばん)、右は月像纛旛(げっしょうとうばん)で、それぞれ太陽と月を表す丸い模様が瑞雲模様の地についています。いずれも高さは5.5mあります。
江戸城の本丸の跡が広場になっています。
江戸城は1657年の「明暦の大火」(振り袖火事)で消失し、その後再建されなかったということです。
まわりの木(けやきや桜)はすっかり紅葉していました。
松の緑とあいまってとてもきれいです。
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元禄14年、忠臣蔵で有名な刃傷沙汰があったという「松の廊下」の跡がありました。
松の廊下は江戸城で2番目に長い廊下で、幅はちょうどこの道幅程度の2間半(4.5m)だったそうです。
松の廊下のふすまには、このような絵が描いてあったようです。
絵柄が「松に千鳥」だったため、松の廊下というようになったとか。
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広場の真ん中に午砲台跡がありました。午砲というのはお昼にならす大砲のことで、いわゆる「皇居のドン」です。
この石は腰をおろすのにちょうどいいためか、おばさんがすわっておにぎりをほおばっていました。
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そこらに残る石垣は、直線的な形の岩が組み合わされていました。そばによって見ると、花崗岩でできていました。筑波産のものでしょうか。