入院日記のページ


2001.10.6 作成

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10/1(月) 虫食い算

 *今日から3週間の予定で看護実習生が来た。別の都立病院付属の看護学校の3年生だという。全部で5人ということだった。

  45人いる患者のうち5人が選ばれ、それぞれ担当の実習生がつくのだそうだ。僕はその一人に選ばれた。

  たぶん手術が終わってこれから快方へ向かって変化していくこと、会話がらくにできることなどの条件がいいのだろう。

  僕についた実習生は、おとなしくてまじめそうな子だった。

  コップを洗ってもらったら、「これ、拭いたのでなおしておいてください」と言った。

  そばにいた娘には何をいってるのかわからなかったようだった。「なおす」というのは九州では「しまう」ことである。

  僕の両親は宮崎県出身なのでわかったのだ。聞いてみると、彼女は長崎県出身であった。

 *となりのTさん担当の看護婦Kさんが気をきかせてくれ、となりと僕のところと両方のカーテンを全部開けてくれた。

  おかげで部屋の一番左にある窓まで見通すことができ、久しぶりに外の景色を見られた。すがすがしかった。

  そういえば今日は中秋の名月だが、天気はあまりよくないようで見られそうもない。

  中秋の名月は芋名月ともいうので、夕食には里芋でつくった衣かつぎがでた。先日の秋分にはおはぎがついた。しゃれている。

 *看護婦のM本さんが、いきなり次のような問題をもってきた。

   □79□ ÷ ○○○ = 79

   上の○にはいる数字の合計は、7、8、9、10、11のどれでしょう?

  という問題だった。看護婦の主任試験の一般教養問題に出されて、できなかったのだそうだ。ほとんどパズルだ。

  どうしてこんなのが看護婦の試験にでるのだろう? 一応10分程度で解くことはできた。

  みなさんも挑戦してみてください。正解はこちらをクリック

  

10/2(火) 造影検査

 *天文気象部の後輩で、ここの医長をしているK田くんがやってきた。昨日看護婦に聞いてびっくりしたのだそうだ。

  最近は彼の方がOB会に出てきていなかったので、久々に会ったのだが、あまり変わってはいなかった。

  白衣姿の彼はとても頼もしく思え、なんとなく安心した。

 *娘が学校帰りに寄ってくれた。今日は赤い羽根の募金活動だったそうで、午前中で終わったのだそうだ。

  ここで嫁さんと待ち合わせて、着替えをしてから映画を見に行った。

  その後、看護婦さんが来た。「着替えをするけど、着替えはどこですか?」「たぶんそこのロッカーの中です」

  「あれー? 石川さん、これに着替えるんですか??」

  ロッカーの中には、娘のセーラー服一式がかかっていたのだった。

 *昼食後、2年前に卒業したT松くんがお菓子を持って訪ねてきた。先日は都合が悪くて一緒に来られなかったのだそうだ。

  大学でもテニスをやっているそうで、真っ黒に日焼けしていた。昨夜の雨で、今朝の練習がなくなってヒマなのだという。

  そういえば彼ともよくテニスをしたものだ。また一緒にできる日がくるのだろうか・・・。

 *午後、膀胱のX線造影検査をして、問題がなければカテーテルを抜くということで3階に向かった。

  造影剤を入れ、X線のモニターを見た。そこには、黒くなった膀胱の形と、たしかにプレートとボルトが写っていた。

  とりあえず膀胱は問題ないようなので、カテーテルが抜かれた。これでやっとすべての管が抜けて自由の身になった

 *検査から帰ると、K田先生が来てくれていた。すっかり自由になってウキウキして話してしまったので、拍子抜けしたかも?

  治ったらまた、K田先生にキャッチャーになっていただいて、投げてみたいものだが...。

  また、M山先生もマラソン大会の相談で来てくれた。僕は到底行けそうもないので、すべてお願いすることに...。

 *17:55、となりのTさんが、「月が昇ってきた」というので、カーテンを開けて見せてもらった。

  昨日の中秋の名月はだめだったが、今夜の満月はみごとだった。オレンジ色で楕円形の月が昇っていた。

  

10/3(水) 発熱

 *昨夜は深夜から夜明けにかけて血尿が4回も出て苦しんだ。一晩中、ろくに寝ることもできなかった。

  そこで再度、膀胱カテーテルを挿入、点滴も入れられ、ふたたびヒモつきの生活にもどってしまった。

  午後、熱が39.2度まで上昇!!とにかくつらい。せっかく今日からベッドを45度まで起こしていいのにできない。

  すごろくでいうと、入院してから昨日までは順調に5や6の目で進んできたのに、今日は一気に30コマくらい戻ってしまった感じ・・・。

  ゴールへは確実に行けるのだろうが、一進一退なのかなぁ。あせらずゆっくり行くしかないか。

  「人生ゲーム」みたいにゴール直前で全財産かけて負けたら「貧乏農場行き」なんてことはないよね。

 *助手のGさんがバイクの写真をスキャンして持ってきてくれたので、HPに使用することができた。いろいろやってもらってすみません。

 *後輩で医長のK田くんが、本を持って訪ねてきてくれた。ここのトップ、部長のH医師の著書「こちら救命センター」をサイン入りで。

  夜、熱が下がってから一気に読んだ。看護学校の生徒向けに書いたものらしいが、病院を医師や看護婦の側から見てるので面白い。

  特に僕がここにいるからかもしれないが、自分の境遇とかぶるようなところもあって、思わずのめりこんでしまった。

  連載ものだったらしく、多くの話で構成されているのだが、ひとつひとつの質が高く、何カ所かは涙がでてくるようなところもあった。

 *僕の担当のI先生(女医さん)は、普段はメガネをかけてお化粧していないのだが、突如メガネなしでお化粧をなさっていることがある。

  聞いてみると、そういうときは休暇なのだそうだ。僕のことが気になるのでわざわざ寄ってくださっているらしい。

  入院した翌日もそうだったので、僕はそのとき「なぜこの先生は病院内でお化粧をしているのだろう」とあやしく思ったのだった。

  ところがなんと、入院した日と翌日は先生は連休だったのだそうだ。いきなり呼び出されて深夜まで僕の手術をしてくれたのだ。

  考えてみれば、この病棟(救命救急科)の手術はいつも突然である。ここに手術の予約をして入ってくる人などいるはずもない。

  休みなんて、あってないようなものなのだろう。ほんとにたいへんな仕事である。まだ若くていらっしゃるのに、よく対処できるなぁ。

  とにかく感謝、感謝。いい病院、いいお医者さんたち、いい看護婦さんたちに囲まれて幸せである。

 

 ・・・つづく


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