2001.5.14 作成
臨済宗妙心寺派の禅寺で、明応元年(足利時代)の開山だそうです。
武田信玄公の御朱印地ともなった由緒正しいお寺です。
清水次郎長の菩提寺でもあり、次郎長の墓や展示館があります。
前で記念写真を撮りました。
清水次郎長は本名を山本長五郎といい、文政3年元旦に生まれ、叔父の山本次郎八の養子となったそうです。
喧嘩の仲裁をして名をあげ、清水港開港に尽力し、英語塾を開き、三保・日本平・富士裾野の大開墾をするなど、社会のために尽くしたそうです。
特に、清水港で官軍の刃に倒れた幕府軍の軍艦咸臨丸乗組員の遺骸を葬ったときの言葉、「死ねば仏。仏に官軍も賊軍もあるものか。おとがめがあれば喜んで罰をうける。」の言葉は立派です。
次郎長の使用した火縄銃だそうです。
次郎長の銅像があり、その前には池がありました。
のぞきこむと、鯉がたくさん泳いでいました。
次郎長の墓です。そばには「森の石松」、「大政」、「小政」、「仙右ェ門」などの子分、3夫人(3人とも「てふ」)の墓もあります。
墓のかけらを持っているとギャンブルに強くなるという迷信があり、多くの人が墓を欠いては持っていったので、変な形になってしまっていました。
梅の実がなっていました。
まだ小さかったです。
竜華寺(りゅうげじ)
この寺は、江戸初期の寛文十年に開かれました。庭園は「須弥山(しゅみせん)式」という日本最古の造園方式だそうです。
池が駿河湾、本堂の屋根が富士山を模して造ってあるということです。
伊豆半島はどこにあるのでしょう?
日本最大の蘇鉄(雄株)だそうです。根回り6m、枝数58本、樹齢推定1100年だそうです。
雌株は推定800年で根回り4mです。
蘇鉄とともに上海の竜華寺から移植されたと伝えられ、樹齢推定300年です。
根本はすでに木質化して茶色になっています。
久能山東照宮
久能山へは日本平からロープウェイで行くことができます。はるか大昔は日本平と久能山はつながっていたと考えられますが、その後の侵食で現在は間に深い谷ができたのだと思われます。
推古天皇のころ(西暦600年ごろ)、久能忠仁が開いたといわれます。
その後武田氏の城砦となり、武田氏が亡びると徳川氏のものとなりました。
元和2年(1616年)、徳川家康が亡くなった後、久能城が廃止され、東照宮が建立されました。
工期はわずか1年7ヶ月で、日光東照宮より19年前にできたものです。
日光よりは地味ですが、桃山時代の技法もとりいれられているそうです。
海岸のところから一の鳥居をくぐって拝殿まで登ると、1159段の石段があります。
「いちいちごくろうさん」と覚えるとか。
ロープウェイだと楽なのですが、下から登ると大変ですね。
徳川家康公お手植えのみかんの木を分木して植えたものだそうです。
拝殿のさらに奥にある「新廟」で、家康公の墓所です。
家康公の御遺言に基づき、2代将軍秀忠公の命によって、なきがらはこの久能山に埋葬されました。
遺言通りに、西向きに建てられています。
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久能山からの眺めです。立体写真です。
ビニールハウスは石垣いちごのものです。
くわしくは、別ページでどうぞ。
海は駿河湾、遠景は焼津です。