修学旅行のページ2


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1998.6.2 作成 / 6.5 更新

6月1〜5日、修学旅行で関西へきています。このページでレポートします。

座禅

座禅

2日は朝5:00に起きて根本中堂で座禅をしました。

25分間、くしゃみも鼻すすりもツバを飲むこともしないのはつらかったですね。

坂本ケーブル

ケーブルカー 軌道

延暦寺から琵琶湖西岸の坂本へ降りる、日本一長いケーブルカーで、2025mあります。昭和2年に敷設。車両はヨーロッパ調。

高低差484mを11分で登ります。片方は「縁」、もう一方は「福」の文字が99歳のお坊さんの字で車両の横に描かれています。

日吉大社

とりい 坂本にある日吉大社は、神代の昔からある日本で最古の神社です。日吉山王といわれ、鳥居が「山王」のデザインになっています。 西本宮 国宝の西本宮本殿です。1586年に復興され、1597年に改修されました。
みこし 日本の御神輿のルーツはここにあるそうです。7基の御輿はいずれも重要文化財です。 二宮橋 二宮橋は日本最古の石橋で、木造橋の構造でつくられ、花崗岩でできています。天正年間に豊臣秀吉が寄進したといいます。

西教寺

西教寺

日吉大社のすぐ北に、聖徳太子が創建された西教寺があります。ここには明智光秀の墓があります。

本堂は総ケヤキづくりで重要文化財です。

坂本城址

坂本城址

坂本から南へ少し行ったところに坂本城址公園があります。

坂本城は、織田信長が比叡山を焼き討ちした後、明智光秀が築城しました。今は跡しかありません。真ん中に明智光秀の像があります。

彦根城

彦根城

1601年、関ヶ原の戦いで活躍した徳川四天王の一人井伊直政は、戦いに敗れた石田三成の居城である琵琶湖東岸の佐和山城を与えられ、移ってきました。

その後直政は、城をすぐそばの彦根山へ移そうとしましたが病死し、その子直孝が遺志を受けついで1603年に築城に着手しました。
彦根城左 彦根城右

城は実に20年の歳月を経て1622年に完成しました。現在、天守閣は国宝に指定されています。

ほかにも重要文化財指定を受けたものが数多くあります。あの井伊直弼も幼少の頃をここで過ごしたそうです。
天井 天守閣の天井裏の木は特殊な構造で組まれています。この骨格が完成したのは1606年の今日、6月2日だそうで、TVでもやっていました。 天秤 天秤櫓(てんびんやぐら)です。左右対称なのでこの名があります。右側の石垣は当時の牛蒡(ごぼう)積みですが、左は改修した新しい切石積みです。手前の橋は攻められたときに簡単に落とすようになっています。
地震間

天守閣横に4代藩主直興が1677年に造った玄宮園があります。写真は、地震の時に逃げ込む地震の間です。普段は茶室でした。

土台は岩組で、床組に大材を使用して重心を低くし、柱は土台に固定せず、天井裏に綱を対角線に張り、屋根は軽いこけら葺き、土壁も少ないという耐震構造です。

龍潭寺

石庭

龍潭寺(りょうたんじ)は2代藩主直孝が建立した禅寺で、学僧が造園学を学んだ大道場でした。ここ出身の僧が各地の禅寺の庭園を造っているそうです。

方丈南庭は普陀落の庭と呼ばれています。中央に山、その右には舟らしき石が置かれています。岩質は結晶片岩のようです。
庭左 庭右

方丈の北側の庭園は南の枯山水とはちがって池があります。

また、南側の平らな印象とは逆に立体的で垂直にたっている感じでした。


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